1998年秋
ある日本人の紹介でスパニッシュマスチフの存在を知り、スペインからオス犬「ゴードン」とメス犬「ギルヴィー」を、ドイツから「レオ」と「レイク」と「リバー」を輸入しました。
これが弊舎で最初に飼育し始めたスパニッシュマスチフとレオンベルガーです。
スパニッシュマスチフのゴードンとギルヴィーは弊舎が日本初の飼育となりました。
日本で飼育しやすく、魅力的な犬種が外国にはまだたくさんいることを知り、国内のみなさんに紹介したいと強く決意しました。
2001年6月
ギルヴィーが亡くなる前にスパニッシュマスチフのメス犬の輸入のために
スパニッシュマスチフを求めてスペイン各地を旅したのが初めてのスペイン訪問でした。
そのときはたくさんのブリーダーさんと出会い、たくさんのカルチャーショックを受けて帰ってきました。
このときにスパニッシュマスチフ協会の会員になりました。
そして、新たに一頭のメスのスパニッシュマスチフ(名前はアビラといいます)を輸入するこができました。
今もずっと親交を保ち続け、スパニッシュマスチフを通じて様々な交流ができることをとても嬉しく思っています。
このときにスペインのブリーダーさんから欧州では生後60日目以降にしか子犬を引渡ししないことを知り、
弊舎でも徐々にそのように移行し始めました。
そうすることで多くのメリットに気付きました。
子犬の社会性や安定した健康や情緒がその後の子犬の育成にとても良いことが分かり始めました。
南欧のブリーダーさんたちは放任主義の方が多く、自宅と犬たちがいる場所が離れているところが多かったです。
「弱い子は助けない」「自然淘汰はブリーダーの大切な務めでもある」という新たな価値観を知り衝撃を受けました。
2002年3月
レオンベルガーのメス犬たちが高齢となり、レオンベルガーの女の子の輸入のために
ベルギーを訪問しヨーロッパトップレベルのブリーダーさんとお話し、たくさんのレオンベルガーを見てきました。
その中のブリーダーさんからメス犬のレオンベルガー(名前はビアンカ)を輸入しました。
レオンベルグ協会の会員になり、会議に出席させて頂いたり
レオンベルガーグッズを販売してくれる方と親交が持てたり大変充実した旅になりました。
このときに遺伝性疾患を減らすためには、代々の犬たちをデータベース化して管理・繁殖している
ブリーダーさんからの血統を輸入することの大切さを知りました。
また、愛犬家(ブリーダー含む)と高度な獣医療が身近であることも分かりました。
今の日本では欧州とは違う形ではありますが、高度医療や二次医療が普及してきましたし、
専門医の数も多くなりました。
2002年11月
レオンベルガーのオス犬が高齢となり、若いレオンベルガー輸入のために
カナダ(ケベック)のブリーダーさんから オスのレオンベルがー1頭の輸入を輸入しました。
すばらしい犬ぶりにみんな大喜びしました。
そのレオンベルガーの名前は「だいみょう」といいます。
このときに知った複数のトップブリーダーさんたちは独自の食事や健康管理をしており、
それがみなさんでバラバラであることを知りました。
犬舎の施設も違い、室内飼育メインや室外飼育メインの方など違いがたくさんありました。
理屈を越えた経験に裏打ちされた食事の与え方には共感を覚えました。
データや数字や論理的な説明文だけを頼りにしていては絶対にたどり着けない方法が
そこにはありました。
そして、弱い子犬を先進医療と経験と根気でどこまで助けられるのかが大事な話題でした。
南欧とは全然違います。
弊舎で独自の基準ができ始めたのもこの頃からです。
2003年3月
アラスカンマラミュートのメス犬を求めてカナダを旅してきました。
元々弊舎のボス犬兼教育係の「シュウ」のお嫁さん探しの旅でした。
そして、オタワのブリーダーさんから’03 10月に メス犬のアラスカンマラミュート「ソフィー」の輸入に成功しました!
彼女はグレー&ホワイトのとても綺麗で女の子らしい顔立ちのマラミュートです。
「野生的な美しい犬」という意味で犬らしい犬を見たのがこのときでした。
徹底管理して作られた犬ではなく、上手にブリーダーが手を加え、
時には諦観することの大切さを、時には考え抜いた工夫を織り交ぜた犬とのかかわりに
野生ではない犬のブリーディングを学びました。
2004年3月
イギリスのバーミンガムで開催されたクラフト展(4日間)を観に行ってきました!
最も古い歴史があり、クォリティーの高いこの世界最大のドッグショーでは多くのブリーダーさんと知り合うことができました。
また、旅の後半はスペインのブリーダーさんを訪ね、ヨーロッパの犬界について大変貴重な話を聞くことができました。
レオンベルガーやアラスカンマラミュートはもとより、多くの大型犬を見ていろんなブリーダーと意見を交わし、有意義な4日間を過ごしました。
イギリスでは日本の3倍ほど公認犬種が存在するため、東京や大阪の大きなドッグショーと比較にならない規模に驚きました。
そして犬のためのゴミ箱の設置や店舗への入店や公共施設への出入りや犬のための税金や保険加入率の高さやドッグシェルターなど、
日本よりはるかに進んだ犬のための社会システムを知りました。
日本の愛犬家の意識も負けてはいませんが、愛犬家ではない人々や政治家のみなさんの意識の違いが大きいです。
スペインのブリーダーさんとは犬の断尾や断耳の是非を議論しました。
今の時代にそぐわない断尾や断耳が必要なのかどうか、ドッグショーにおける犬種標準を改定するべきかどうかなど、
犬界の人間にとって重要かつシリアスな内容の活発な議論が印象に残りました。
2011年以降、弊舎では原則的に断尾や断耳、狼爪切除を禁止しました。
2007年3月
バーミンガムのクラフト展を4日間見学に行って参りました。
その後、イタリアのスパニッシュマスチフのブリーダーさん宅に泊めて頂き、合計10頭の成犬や子犬を見て
いろんなお話を伺いました。
10日間の全日程を終えて改めて、異文化の違いや共通点を感じてとても楽しかったです。
イギリスもイタリアも郊外には「コストコ」のような規模と雰囲気のペットショップがあり、
基本的には犬と猫がいませんでした。(法律で禁じられている国が多いようです)
その代わり飼育用品は物凄く多いです。
犬を飼育したいときは新聞や雑誌やネットで情報を得て、ブリーダーを訪問することが当たり前でした。
これは他の欧州の国々にもあるようです。
ただし都会では日本と同様、小さなお店があります。
クラフト展では、基本的にオーナーハンドラーが原則です。
日本のようにプロのハンドラーは少ないです。
日本と違ってドッグショーが愛犬家に身近で、エンターテイメント性があります。
日本のように一部の業界人だけのものではないです。
2008年3月
アメリカのニューヨークで催されたドッグショー「ウェストミンスター」を4日間見て参りました。
初めの2日間はペンシルバニアホテルでのドッグショーを、あとの2日間はマディソン・スクエア・ガーデンでのドッグショーを見て
その際に多くのブリーダーさんとお話しました。
レオンベルガーはアメリカで公認されていないので見れませんでしたが、スタンダードプードルとアラスカンマラミュートには出会えました。
初めてのアメリカはヨーロッパと一味違う面白みがあり、また行きたい国のひとつになりました。
自由の国アメリカでは、日本や欧州とは真反対の価値観がたくさんあります。
ドッグショーには特定の人間が作った基準がありますが、ドッグショーを離れると犬に関する様々な価値観があり、
すべてが認められる風潮を感じました。
ただし、それは建前であるという一面にも気付きました。
欧州にも北米にも日本と同じように「自分の価値観以外は間違っている」
つまり、「自分のもの以外は間違っているから批判する」という感情を持つ人がいます。
そして、それは正義のためだと主張します。
私は誰かを批判したり、争ってはならないと強く感じました。
1つの犬種をとってみても世界中で、いろんな飼育環境でいろんな食事を与えられて
愛させて暮らしています。
何が正しくて何が間違っているのかを論じる前に、なぜそのようにして飼育しているのか、
なぜそのように考えるのかを知る必要があります。
そのためにもいろいろな価値観を受容する気持ちがブリーディングには必要だと感じました。
その上で自分のポリシーを持つこと(世間のみなさんに共感してもらえるもの)が、
平和的で必要とされるブリーダーの要諦だと感じました。
2008年9月
以前から親交のあるベルギーのブリーダーさんからレオンベルガーのオス犬「グレッグ」を輸入しました。
彼は歴代のレオンベルガーの中で最も骨太で毛量が多いことが特徴です。
彼はとてもクールでジェントルマンです。
このブリーダーさんの寛容さにはいつも感服していました。
飼い主の諸事情を理解すると徹底的にそれに合わせて犬を飼育してくださいました。
しつけが必要ならば必要なしつけを入れてくださいますし、
子犬を引き取る月齢が生後11ヶ月でもOKしてくださいました。
飼い主あっての犬だからこそ、飼い主の都合を最優先するという考え方です。
当然犬にとって少しでも良い状態を維持管理、進歩向上しながらです。
このことから弊舎でもどれだけ長く飼い主さんが預かって欲しい、しつけを入れて欲しいという要望があっても
お受けするようになりました。そうしてみると意外なことに犬たちは素晴らしいキャラクターに育つため、
飼い主さんからのご相談が非常に少なく、お互いに大きなメリットがあることも分かりました。
2008年12月
バーミンガムのドッグショーで出会ったチェコのブリーダーさんからスパニッシュマスチフのオス犬「ポルソス」を輸入することができました。
チェコで唯一のブリーダーさんだそうです。ポルソスは明るくて甘えん坊な気質の持ち主です。ポルソスは大変田舎の大草原で育てられました。
スペインの画家ベラスケスの「ラス・メニーナス」に登場するスパニッシュマスチフの役をポルソスが務めることになったので、
京都市芸大で写真撮影の依頼がありました(2013年6月)。
ポルソスだけではありませんが、概してスパニッシュマスチフのブリーダーさんは
広い田舎でブリーディングしています。
羊飼いをしているわけでなくても、人も車も通らない大平原でスパニッシュマスチフを飼育しているブリーダーさんがいます。
弊舎も他人事ではありません。
そういった飼育環境では一面良いところもありますが、人間社会から隔絶されていればいるほど
都会の喧騒に慣れないこともあります。
元々犬は環境の変化に順応する能力が高いからこそ、世界中で愛されているわけですから
都会にも田舎にも慣れさせるように飼育してあげた方がよいと感じました。
2010年3月
深い親交を持つベルギーのブリーダーさん経由でレオンベルガーのメス犬「インディー」を輸入しました。
メス犬では過去最大サイズのレオンベルガーです。グレッグよりも背が高く、体重は60㎏!
とても明るいキャラクターです。
偶然ですが、スパニッシュマスチフもレオンベルガーも今在舎しているオスとメスでは、
メスの方が体高が高いです。
小型犬や中型犬だけではなく、大型犬や超大型犬でもメスの方が大きくなることはあるものです。
ですから「オス=メスより大きくなる」というのは間違いです。
2010年4月
久しぶりに10日間かけてスペインのブリーダーさん巡りをしてきました。
ポルソス(オス)のお嫁さん探しの旅です。
初日だけはホワイト・シュナウザーとミニチュア・ホースのブリーダーさんと会食し、
後はホームステイのように同じブリーダーさんに毎日いろいろなところへ連れて行ってもらってスパニッシュマスチフを見てきました。
馴染みのブリーダーさんとの再会を喜び合いました。
ただ、最大の目的を果たせなかったのが残念でした。
結局、このときには日本の厳しい動物検疫制度に阻まれて、誰もスパニッシュマスチフを日本へ送ろうとはしてくれませんでした。
驚いたことにスパニッシュマスチフばかり80頭以上も飼育しているブリーダーさんに出会いました。
しかも首都マドリッドで。この方はオペラ歌手でもあり、日本でも歌ったことのある方でしたから、
私たちと友好的にお話してくださいました。
ただ、1犬種をそれだけ多くブリーディングしているため犬質は様々でした。
おおよそスパニッシュマスチフとは思えないような子まで見たので衝撃的でした。
2012年10月
スペインから「ユマ」を輸入しました。これでやっとスパニッシュマスチフのブリーディングを再会できます。
2013年1月1日にポルソスとユマの間に8年ぶりとなるスパニッシュマスチフの赤ちゃんが誕生しました。
ユマはオス犬のポルソスよりも体高が高く、初代「ギルヴィー」並みのサイズの女の子です。
ユマはスペインとアメリカのブリーダーさんに育てられ、散歩へ行くときにはなぜかハーネスを付けて行く習慣が付いていました。
日本では当たり前のハーネスですが、海外では一般的にあまりハーネスを使いません。
しかしユマのようにきちんとハーネスでリーダーウォークできるよう育てられればよいですが、
通常はハーネスではなく、カラーを付けて散歩へ行くべきです。
でなければリーダーウォークを教えづらいです。
2012年12月
イタリアから「アヴィー」を輸入しました。
ユマもアヴィーもアメリカの大型犬専門犬舎を経由して来日しました。
アヴィーはシャイな女の子ですが、外見はユマ以上にスパニッシュマスチフらしいです。
身体のサイズはユマと変わりません。
日本の厳しい動物検疫をクリアするためには、アメリカのスパニッシュマスチフのブリーダーさんに
一時飼育してもらうしかありませんでした。
それが奏功してようやく無事にスパニッシュマスチフの輸入に成功しました。
この検疫制度は狂犬病予防のための法律です。
愛犬家ではない人々にとっては関心のないことと思いますが、
狂犬病を国内に入れないためのシステムは他にも考えられるので、
もう少し早く犬を輸入できる制度に変更すべきだと考えています。